ためしてためしてためしまくれ
タイトルはDr.stoneという漫画の主人公が言ってたセリフと今回のゼミで就活でもなんでもとりあえずやってみて修正、try &errorでやっていくことが大切と教わったのでこれにしました笑
後期のゼミは3つのグループに分かれて週ごとに1グループが対面で他はオンラインという形で自分は約8ヶ月ぶりくらいに学校に行きました。久しぶりの自転車通学で足がぱんぱん!
さて今回のゼミではまず先生からオールドタイプとニュータイプについてのお話がありました。
就活は正解がないものなのでニュータイプでやって行くのがいいけど、ほとんどの就活生がオールドタイプになっているそうで理由として受験がオールドタイプに当てはまるからです。
合格判定や模擬の順位、偏差値から課題を見つけ出し第一志望まで最短で合格するにはどうしたらいいかを予測する。これこそがオールドタイプで誰もがこのやり方でやってきたので就活でも正解を目指して内定を取りに行くといったことをしてしまうようです。
そこで私たちのグループではニュータイプの共有することが大切ということから自分の興味のある業界や企業を調べて共有していこうとなりました。人は知っていることの中からやりたいことにしか選択肢を持っていないので視野を広げるという点でそれぞれの情報を共有するのは大事だと思いました。
個人としては、私たちのグループは業界研究(食品)+インターンに参加していない人が多かったので自分がインターンに参加して感じたことや考えたこと質問や人事からのフィードバックで学生のどんなとこを評価しているのかなどを整理する意味も含めてみんなに共有していきます。
先生から「スケジュール帳にはどこの何時から何時で何やるかまで書く」と言ってくださったので、自分は29日の10:00-12:00にこれらをやっていきます。
「やりきる」というキーワードで頑張ります!
君の名は×古典
今回は映画「君の名は」における古典文学の引用について書いていきます。
君の名は実際に映画館に観に行きましたが、4、5年前のことなので細かくは覚えていませんが、美しいアニメーションが印象的でした。
昔の和歌や物語は、本を読む→書く→書き換える(自分で本文をアレンジ)という手順で書き写され今の時代では問題となるであろう盗作がこの時代では良いアレンジだといって逆に高評価を得ていたそうです。
君の名は平安時代の『とりかえばや物語』を題材にした映画だった!
平安時代の和歌の世界で自分の夢に相手が出できたときは「夢に出てくるのは、相手が自分を思ってくれているから」とされていたが、六歌仙の一人小野小町は「いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣をかへしてぞ寝る」と逆に自分が思うことで相手の夢に出てくると信じていました。この和歌は自分からいくという点では新しいタイプの歌のようです。
この積極性が君の名はでも引用されているのでは?とのことでした。
君の名は以前の男女入れ替わりの作品
「とりかえ・ばヤ」、「ベルサイユのばら」、「リボン騎士」を挙げられました。
これらの作品はどれも最終的には戻ってしまいます。しかし君の名では元に戻るという展開にはならないことから新しいタイプと言われ、小野小町の歌のように挑戦した映画になっていることがわかります。
もちろん共通する部分もあります。それは、態度や仕草です。入れ替わった際に私?オレ?など自分の呼び方や態度が変わっています。これは昔から女は恥ずかしがり屋、ひな遊び
男は遊びまくっている、サッカー、弓、笛を吹くなど決められていたことが関係します。
「君の名は」を引用・変奏しながら表現したい内容はなんだったのか?
今回の課題です。
自分が考える引用してまでも伝えたかったことは、大切な人、想っている人にはきちんと自分の思いを伝えよう、伝えるのが難しくても自分の言葉で伝わるまで諦めずにいればきっと伝わる、これを今しなければ、夢から覚めた時のように伝えたかったことも忘れてしまうよみたいなことかなと考えました。
今回も古典を通して知らなかったことや驚きが多々あり、古典の面白さにじわじわと引き込まれているような気がします。
次回も楽しみでーす☺️
古典①
今回から大阪工業大学の横山恵理先生にお越しいただき「古典」を学びました。
まず初めになぜ古典を勉強するのか、皆さんにとっての古典とは?という問いを投げていただきました。
私のこの問いに対する意見は、受験科目であったのでやらないといけないものだったので、古語の意味や文法をひたすら暗記していたり、眠くなルトいった記憶があります。なので、古典に対して面白いと思った事はあまりなかったように感じます。
横山先生の回答として
・純粋に楽しいから。好きだから。ストーリーの楽しさ。
・日本のアイデンティティとして所属する文化の古典や歴史を学ぶ
・現在を逆照射する。近代を相対化できる
今の「当たり前を」疑える
これらが古典を学ぶ理由のようです。確かに歴史を学ぶためっていうのは大事やと思いました。その時代の生活様式や今の言語のもとになってたりすることを知ることができるので
3つ目の当たり前を疑うは哲学の講義でにも出てきてやっぱり問いを立てる事は重要だなと再認識。
すずりに向かいて
次に徒然草の冒頭部分から何か違和感を感じませんかという問いを投げかけられ、考えてみましたが、出てこず、、、この冒頭の部分の『硯にむかいて』の部分に違和感を感じられるようです。なぜなら硯に向かうってどういう事?「机」に向かってじゃないの?っていう風に疑問に思うようです。言われてみれば確かにと思いましたが、読んでいるときは気にもしなくて
疑う力が足りないことを痛感。
ではなぜ兼好法師が「硯にむかいて」と書いたのかを知るにはどう調べたら良いのかの方法として、
・同じ作者の他の作品を読んで、同じ表現がないかを探す。
・他の時代に同じ表現はないかを探す。
これらを使って硯にむかいてがどこから引用されていたのか、はたまた兼好法師が考えたのかを調べたところなんと源氏物語にも同じ表現があることに気がつき兼好法師はやってました笑
米津玄師「lemon」
次に現代にもこのように古典文学を歌詞に引用している例として米津玄師の「remon」が挙げられ驚きました。
この曲は、高村光太郎の「レモン哀歌」から来ているようです。これは本人が言ってるので明らかになっていますが、どこを引用しているのか?レモンはもちろんトパアズの香気立つなど似たような部分がいくつかありました。これらのことから、「人の死」というテーマが共通している点といえるそうです。
また「果実を切り分ける」という表現には愛情表現や秘密の共有という意味があります。
切り分けた果実同士でなければ完全に合致しないと捉え日本語の美しさに気づきました。
最後に「硯にむかいて」という表現は源氏物語から引用していて、ただ書くのではなく、自分のうちに秘めている感情を表すものとして使われていた表現だと話されていました。
今回久しぶりに古典について学んでみて、今まではみてこなかった古典の別の視点をみれて古典の面白さ(文学的表現等)に気づくことができたかのと思います。古典と現代は今話している言葉だったり、文字を書くと言ったことで深くつながっています。これらのことから人間理解であったり、普遍性を知ることにもなるようなので、次回も古典に対しての理解を深めていきたです。
哲学的な問い
今回は須永先生にお越しいただいての哲学対話2回目でした。
・哲学という営み
まず最初に知識は毒であると言われなぜなんだと思いました。いったん身についた知識や価値観は『磁力(親和性と排除性)』を持っていて、自分にとって都合の良い知識しか身につかなく逆に方向とは合わない知識は排除するそうです。知識の一面として、『脱げない鎧』があります。いったん身についた知識は物事などをその目でとしか見れなくなってしまう(例として出された騙し絵が分かりやすかった)もので、それを脱ぐためにも哲学を営み既知の知識を揺さぶることが大事だそうです。
・哲学的な問い
受験失敗して学ぶことってなんだろうとか離婚して働くことってなんだろうみたいに『当たり前』の土台が疑わしく見えた(つまづいたり、立ち止まった)ときに人は哲学をせざるを得なくなるそうです。そしてこれらの問いはつまずいていない人には問いがリアルに思えないため共有が難しいとのことです。
・問を立てるスキルとは?
哲学のメリットとして問を立てるスキルの向上があります。
問を立てるスキルとは
1簡単に分かったと飲み込まない
2馴染みのあるものを「異化」する
この後に例題を出せれて自分では理解していたと思っていたものでも、それを他人に説明し
てくださいと言われ、それが一瞬で難問と化しました。
・哲学対話のルール
1自分の言葉でゆっくり話す
2相手の言葉の中にあるんものを探る
3「もう一度お願いします」と言って良い
4相手の言葉によって揺すぶられることを恐れない
5結論を急がない
印象に残った言葉として、答えを出さずに問い続けることは結論を出さないという『安全な殻』にこもっているのと一緒だということです。
次に今回出された問いに自分なりの答えを出していこうと思います
問1なぜ我々は『あなたは差別している』と言われたくないのか
差別は悪だと教えられてきたし、差別をすることによって周りからの目が冷たくなったり排除(差別している人は攻撃しても良いんだ!と)されてしまうのが嫌だと思うからと考えました。
問2差別をしたくない場合、どうすれば良いか?あるいはそもそも、差別はしてしまっても仕方ないものなのか(だとしたら、なぜ世の中ではかくも「差別はよくない」と言われているのか)
私は差別をしたくない場合、世の中にはこういう人もいるんだなーくらいに思ってあまり干渉しないようにしているなと思いました。これも差別してるんじゃないかと言われれば差別って範囲広いし、そもそも差別って何?ってなりました。また、多くの人が悪意なくとも、無意識で何かしら差別をしていると資料を読んで分かったので、差別はしてしまっても仕方ないことだと思うし、決してなくならないものなんじゃないかとも思いました。
対話を終えて
差別のややこしいところは受け取る側が差別って思ったら差別になるところですよね、
区別としていたことが差別につながることもいっぱいあるなーなんて、思ったり、、、
差別と向き合うためにも〇〇だから〜といった固定観念をなくして見ることが大事なんじゃないかと思いました。
哲学〜差別感情〜
今回は、哲学対話として差別について考えていきました。
配布された資料はA〜Dに分かれているのでそれぞれの章を読んでの感想を書いていきたいます。
A悪意は人を鍛え人を滅ぼす
それぞれの社会に、疫病にかかった者、障害者、ユダヤ人、穢多非人など被差別者はいた。こうした人々を差別する動機はいわゆる悪意ではなく、オソレでありケガレである。
昔、出産時の血や死はケガレ、オソレとされそれが自分にもうつるとされていたこと思い出しました。これは今起こっているコロナウイルスの件でも言えるかなと、治った後でも煙たがられ、誹謗中傷を受けたりしていると情報番組で取り上げられていた。
このAから読み取れることは、悪意を完全になくすことは良くない。
なぜなら、攻撃性(悪意)を持たなければ、支配的な位置に達することもできなかっただろうし、一つの種族として生き残ることさえできなかったから。
そこで著者は自分の中にある差別感情とどう向き合いコントロールしていくかがその人の価値を決めると述べている。
フロイトの『文化における不安』のところが何度読んでも理解できない。
特に困難な状況から脱する。そして、ここに「罪責感」が生まれるのである。よって、人間は攻撃衝動を抑える代わりに、生涯を通じて罪責感と闘い続けるのところだ。
B快・不快
差別論の難しさとして
1差別論は個人の快不快には立ち入らない
2だが、現実には差別意識は個人の快・不快の延長上に存在する
二つの対立する命題によって示すという
これらの解決策として
『すべての人は(たとえ他人に対して不快を感じているとしても)あたかも不快を感じていないかのように振る舞うべきである』
しかし次の段落でこれは否定される
不快に思われていた人は、不快を感じていないかのような振る舞いをした人に対して感謝するのではなく、むしろ彼らを憎むというには納得できがだからと言って不快だとマイナスな感情を出すのか?それも違うと思った。
後半では、「ある社会的劣位グループの構成員をその構成員であるが故に一律に不快に思うという感情」を差別感情とし、こうした硬い差別意識を差別感情と定義し、そこに湧き上がる不快の感情を抑えるべきである。
ここには納得できた黒人を見ると怖いと思うし、障害者がいると見て見ぬふりをして態度で彼らを差別していた。
納得できない部分もあった、これは社会的劣位グループの構成員だけに限ったことではないということ
たとえば医者の息子なのに勉強ができないとか大手企業の社員なのに性格が悪いだとか
アイデンティティは役割の束(出身地、出身校、A企業社員、、、)そのものである。よってアイデンティティを確立した者は自分の属している集団を愛している。そのことを侮辱されると怒り、侵害されると防衛する。
自分の所属している集団を過度に愛することは差別感情を育てることにもなる。
これはすごく納得できた
少年時代を通じて多摩川をはさんで東京南部と川崎で育ったが、そこには何の愛着も覚えもない。私は、個人的に思う意は郷土愛の全くない人間なのである。
この文章を読んだ時、そんな人いるのか?笑、かわいそうな人だな、よっぽど嫌な過去があったのかななど気づけば悪意のない差別感情をこの著者に抱いていた、、
D向上心
ここでは向上心さえも差別感情を生み出すということが書かれている
教師も親も子供たちに「よいこと」をするように教え、成果の上がった子を称賛し、それと同時にできないひとを軽蔑するなと教えられる。しかし、外形的には軽蔑しないかもしれないが、心のうちに軽蔑し続けるだろう。そうでなくとも自分は彼らより優れていると誇るであろう。
小さい頃から植え付けられた意識を変えることは難しいし、他と比べ秀でたいと思うことこそが差別感情を生むことには納得できました。
A〜Dを読んで
人間誰しも差別感情を持っているし、それを避けることはできない。だからその差別感情を受け入れ、無意識に自分の解釈を入れず他と平等に接していくことが必要なんだと考えました。
また、向上心などのようなプラスなイメージにも差別感情があることに気づき驚きました。
暇と退屈
オンライン授業が始まり、課題が増え溜めてしまうとどれをやったかわからなくなり、気持ち悪くなるので、早め早めで終わらせるように心がけています。ちなみに夏休みの宿題は最後の週にまとめてやるタイプです笑単位がかかってるからかな、、、
さっそく、今回は哲学のさわりとして暇と退屈についての議論をしたので、ブログに書いていきます。
まず初めに下の図の中で、自分が今どの番号に位置するのかを考えました。
自分は②を選びました。大体2、3、4に分かれていたような気がします。
②を選んだ経緯として、まず初めに暇であるかどうかを決めてその後、退屈かどうかを決めて選びました。
自分の中で暇という定義はバイトや講義、レポートなど優先度が高いものがなく、趣味や自分の時間に当てることができる自由な時間があるという状態でした。
現在の自粛期間中、通学時間などがなくなり以前に比べて自由な時間が増え趣味に時間を使ってるなと思い暇であるを選びました。
退屈の定義は、何かの行為に対してそれが楽しいか楽しくないかどうかで、一言で言えばつまらない状態です。
自分はこの暇な時間を使ってゲームをしたりアニメなどを見ています。それが退屈かどうかを天秤にかけた時、楽しいと感じているので退屈ではないという結果になりました。
以上のことから自分は②を選びました。
ググった結果
暇「余った時間。することがない状態」
退屈「・単調だったり、刺激がなかったり、何もすることがなく嫌になる様子」
「・興味をそそられず、それ以上続けようと思わない様子」
この定義に沿って考えた結果
「することがない状態」で考えるとすることはあるので、暇ではないになる。
刺激がないわけではないしましてや嫌になることもないので、退屈ではないとなる。
よってこの場合は③になった
暇と退屈に対しての捉え方によって位置する場所が違い、退屈には感情的な部分思いました。が含まれているとわかりました。また、人それぞれの充実度や満足度によっても変わってくるのかなと思いました。
ミズノプロジェクト〜まとめ〜
今回はミズノさんにプレゼンをする回で、私たちの班はアパレルの分野から商品提案をさせて頂きました。
商品を考えていくにあたって、まず班の目標を掲げました。
それは”福大への愛着のきっかけを作るような商品を提供する”です。
そこでまず初めに愛着がありそうな人にインタビューをし、人がどのように愛着を持つのかという過程を明らかにして行きました。
次にインタビューしたことを上位下位関係分析でユーザーの事象から目標を抽象化していき、本質的な欲求を見抜いていきました。
そこから、まだ愛着を持っていないところから少し興味があるというところまでの欲求に着目して、ペルソナを作成して行きました。
本質な欲求は
・周りの流行に乗り遅れたくない
・新しいものを取り入れたい
・知らないことを知りたい
といった欲求でした。
ある日のミーティングで、私が「何か中学や高校のものを今でも使ってるのある?」と聞いたところ部屋着として、ジャージを着ているという答えが返ってきました。
彼は「そのジャージを着ると母校での思い出を思い出し懐かしく感じる」と言っていました。これは私たちの目標であるきっかけづくりになるのではないかと思い、ジャージで行くことになりました。このままやっていけばよかったのですが、
「本当にジャージで行くのか?」「インパクトなくない?」という疑問が班のみんなに生じ、最初からまた考え直すことになりました。(この時発表まであと5日。)
各自商品を考えて言うことになり、最終的にエコバック×レインコートを組み合わせた商品を提案することになりました。(この時少なくとも私はペルソナ無視で、目新しい商品は何かばっか考えてしまっていました。)
プロトタイプなども作り、森田先生に修正のアドバイスを頂きに行きました。
そこで先生から、「このペルソナは本当に欲しいのかな」「新しいというのはまだ見たことないという意味なのかな」「ペルソナを自分たちの都合よく動かしている」
「ミズノでやる意味は?」「どういう体験が得られるのか?」など色々問題点、課題点を投げかけられ、確かにとしか思えませんでした。
このレインコートエコバック案はボツとなりました。(発表の前日)
私たちは前に考えていたジャージをもっとペルソナに沿って考えていき、最終的にはスウェットになりました。在学中は生スポ、サークルやゼミでの合宿はもちろん普段使いとして私服でも使えたりルームウェアとして使うことで卒業して1.2年後くらいに愛着が生まれるのではないかと考えました。
ペルソナ的に私服でも使えるような可愛いデザインでなければいけないと考え、いくつかのデザイン案を考えました。
なんとかギリギリで形にすることができ、ミズノさんへスウェットを提案させて頂きました。
[ミズノさんからのフィードバック]
代や学籍番号を入れることで、私たちだけの〜ってなるのはいいよねってことと、デザイン案があといくつかあればいいなと仰っていました。また、建築業界でもペルソナから考えた家が高値で売れたと仰っており、自分たちは今レベルが高いことをやっているんだと思いました。
[反省点・気づいたこと]
・初めに立てた目標を忘れ、いい商品は何か何か、インパクトのある商品はなんだと商品ばっかを考えていた。結果として、ペルソナに沿った商品ではなくなっていた。
・ユーザーが商品を知るという最初のタッチポイントを考えるのに苦労した。
・ペルソナのアクティビティーシナリオを考えるにあたって最初は自分たちの都合の良いように動かしていて、リアリティー性にかけていた。
・デザイン案を一つしか載せていなかった。
・フィードバックしていただいたことを聞いているだけでメモしていなかった、、、(自分に呆れ)
[プロジェクトを終えて]
約3ヶ月やってきてインタビュー方法や行動観察から始まり、上位下位分析、ペルソナなど、多くの学びがありました。しかしまだ慣れていないところもあるので、回数をこなしていけたらなと思います。
また、太宰ゼミの数字から分析したプレゼンやミズノの社員さんとタメになるお話もさせていただき、とても刺激になり、いい経験をさせていただきました。
このプロジェクトで一番感じたのは自分1人では到底できたものではなかったなと思います。チームを引っ張ってくれた仲間や先生の的確なアドバイスのおかげで形として持っていくことができたことに感謝します。
本当にありがとうございました‼︎そしてお疲れ様でした‼︎