哲学的な問い
今回は須永先生にお越しいただいての哲学対話2回目でした。
・哲学という営み
まず最初に知識は毒であると言われなぜなんだと思いました。いったん身についた知識や価値観は『磁力(親和性と排除性)』を持っていて、自分にとって都合の良い知識しか身につかなく逆に方向とは合わない知識は排除するそうです。知識の一面として、『脱げない鎧』があります。いったん身についた知識は物事などをその目でとしか見れなくなってしまう(例として出された騙し絵が分かりやすかった)もので、それを脱ぐためにも哲学を営み既知の知識を揺さぶることが大事だそうです。
・哲学的な問い
受験失敗して学ぶことってなんだろうとか離婚して働くことってなんだろうみたいに『当たり前』の土台が疑わしく見えた(つまづいたり、立ち止まった)ときに人は哲学をせざるを得なくなるそうです。そしてこれらの問いはつまずいていない人には問いがリアルに思えないため共有が難しいとのことです。
・問を立てるスキルとは?
哲学のメリットとして問を立てるスキルの向上があります。
問を立てるスキルとは
1簡単に分かったと飲み込まない
2馴染みのあるものを「異化」する
この後に例題を出せれて自分では理解していたと思っていたものでも、それを他人に説明し
てくださいと言われ、それが一瞬で難問と化しました。
・哲学対話のルール
1自分の言葉でゆっくり話す
2相手の言葉の中にあるんものを探る
3「もう一度お願いします」と言って良い
4相手の言葉によって揺すぶられることを恐れない
5結論を急がない
印象に残った言葉として、答えを出さずに問い続けることは結論を出さないという『安全な殻』にこもっているのと一緒だということです。
次に今回出された問いに自分なりの答えを出していこうと思います
問1なぜ我々は『あなたは差別している』と言われたくないのか
差別は悪だと教えられてきたし、差別をすることによって周りからの目が冷たくなったり排除(差別している人は攻撃しても良いんだ!と)されてしまうのが嫌だと思うからと考えました。
問2差別をしたくない場合、どうすれば良いか?あるいはそもそも、差別はしてしまっても仕方ないものなのか(だとしたら、なぜ世の中ではかくも「差別はよくない」と言われているのか)
私は差別をしたくない場合、世の中にはこういう人もいるんだなーくらいに思ってあまり干渉しないようにしているなと思いました。これも差別してるんじゃないかと言われれば差別って範囲広いし、そもそも差別って何?ってなりました。また、多くの人が悪意なくとも、無意識で何かしら差別をしていると資料を読んで分かったので、差別はしてしまっても仕方ないことだと思うし、決してなくならないものなんじゃないかとも思いました。
対話を終えて
差別のややこしいところは受け取る側が差別って思ったら差別になるところですよね、
区別としていたことが差別につながることもいっぱいあるなーなんて、思ったり、、、
差別と向き合うためにも〇〇だから〜といった固定観念をなくして見ることが大事なんじゃないかと思いました。