Jinya’s blog

福岡大学/商学部・経営学科

古典①

今回から大阪工業大学の横山恵理先生にお越しいただき「古典」を学びました。

まず初めになぜ古典を勉強するのか、皆さんにとっての古典とは?という問いを投げていただきました。

私のこの問いに対する意見は、受験科目であったのでやらないといけないものだったので、古語の意味や文法をひたすら暗記していたり、眠くなルトいった記憶があります。なので、古典に対して面白いと思った事はあまりなかったように感じます。

 

横山先生の回答として

・純粋に楽しいから。好きだから。ストーリーの楽しさ。

・日本のアイデンティティとして所属する文化の古典や歴史を学ぶ

・現在を逆照射する。近代を相対化できる

 今の「当たり前を」疑える

これらが古典を学ぶ理由のようです。確かに歴史を学ぶためっていうのは大事やと思いました。その時代の生活様式や今の言語のもとになってたりすることを知ることができるので

3つ目の当たり前を疑うは哲学の講義でにも出てきてやっぱり問いを立てる事は重要だなと再認識。

 

 

すずりに向かいて

次に徒然草の冒頭部分から何か違和感を感じませんかという問いを投げかけられ、考えてみましたが、出てこず、、、この冒頭の部分の『硯にむかいて』の部分に違和感を感じられるようです。なぜなら硯に向かうってどういう事?「机」に向かってじゃないの?っていう風に疑問に思うようです。言われてみれば確かにと思いましたが、読んでいるときは気にもしなくて

疑う力が足りないことを痛感。

 

ではなぜ兼好法師が「硯にむかいて」と書いたのかを知るにはどう調べたら良いのかの方法として、

・同じ作者の他の作品を読んで、同じ表現がないかを探す。

・他の時代に同じ表現はないかを探す。

これらを使って硯にむかいてがどこから引用されていたのか、はたまた兼好法師が考えたのかを調べたところなんと源氏物語にも同じ表現があることに気がつき兼好法師はやってました笑

 

米津玄師「lemon」

次に現代にもこのように古典文学を歌詞に引用している例として米津玄師の「remon」が挙げられ驚きました。

この曲は、高村光太郎の「レモン哀歌」から来ているようです。これは本人が言ってるので明らかになっていますが、どこを引用しているのか?レモンはもちろんトパアズの香気立つなど似たような部分がいくつかありました。これらのことから、「人の死」というテーマが共通している点といえるそうです。

また「果実を切り分ける」という表現には愛情表現や秘密の共有という意味があります。

切り分けた果実同士でなければ完全に合致しないと捉え日本語の美しさに気づきました。

 

最後に「硯にむかいて」という表現は源氏物語から引用していて、ただ書くのではなく、自分のうちに秘めている感情を表すものとして使われていた表現だと話されていました。

 

今回久しぶりに古典について学んでみて、今まではみてこなかった古典の別の視点をみれて古典の面白さ(文学的表現等)に気づくことができたかのと思います。古典と現代は今話している言葉だったり、文字を書くと言ったことで深くつながっています。これらのことから人間理解であったり、普遍性を知ることにもなるようなので、次回も古典に対しての理解を深めていきたです。